今日のテーマは、『世帯年収1500万円超をパワー・カップルと表現することの違和感』です。
昨日の公式ブログでは、
『トランプ新政権の誕生は凋落を意味するか』と題して、
長期的に米国が衰退する可能性があることに触れました。
20世紀、
前半〜中盤にかけて起きた2つの世界大戦を足掛かりに、
新興勢力から資本主義のスターダムを駆け上がった米国。
一時期、
世界の経済活動の『約6割』が米ドルにより決済されて、
自他共に認める世界の宗主国へと一気に登り詰めました。
21世紀に入り、
さすがに全盛期の一極集中こそ抑制されつつありますが、
覇権は他に譲っておらず、未だトップに君臨し続けます。
しかし、
個人であれ国家であれ、一旦、内向きになってしまうと、
その者の『天下』に陰りが見え始めることは世の中の常。
もちろん、
私自身、今の時点では米国の投資ウェイトも高いですが、
これからの未来もこの戦略で乗り切れるとは考えません。
投資の分野においても決して『安住の地』はないのです。
驕らず、油断せず、常に思考を働かせることが大切です。
前置きが長くなったので、早速本題に入ろうと思います。
昨今、
世帯年収として1500万円以上の家庭・夫婦を指して、
『パワー・カップル』と表現される場面が目に付きます。
確かに、
個人として年収1500万円を得る人は1.5%に満たず、
社会全体で見て『少数派』であるのは間違いありません。
しかし、
専業主婦が廃れ、ダブル・インカムが一般化している今、
その基準をクリアするのは以前より容易になっています。
もちろん、
かつてよりも確実にハードルが下がっているとは言えど、
今尚『少数派』であることは理解しているつもりですが。
それでは、
『パワー・カップル』の言葉からイメージされるとおり、
該当者たちは経済的な豊さを享受しているのでしょうか。
仮に、
夫婦それぞれが同等に『年収750万円』を得られれば、
シンプルに、前述した基準をクリアすることが可能です。
ただし、
各種税金・社会保険料(年金・健康保険)を差し引くと、
この家庭の可処分所得は年間1200万円に達しません。
さらに、
賞与等を考慮すると手取りは月額70万円程まで減少し、
世間一般の印象よりも、かなり小さくなると分かります。
しかし、
彼ら・彼女らは『プライド』だけ高くなっていますから、
パワー・カップルという言葉に自身らが最も踊らされて、
身の丈を遥かに超える『消費意欲』に飲み込まれている。
無意識のうち、
日常的な生活コストが高くなってしまっていることの他、
高額な自動車・住宅ローンを抱えるケースも茶飯事です。
また、
大都市圏を中心に、子供を早くから私学に通わせがちで、
総額数千万円単位の『教育関連費』も必要になることも。
にも関わらず、
子供たちは両親からの過剰なプレッシャーに耐えきれず、
グレたりするのでたまったものじゃありませんよね(笑)
話を戻すと、
彼ら・彼女らはすべてが『高コスト体質』に陥っており、
収入レベルは恵まれるものの、全く賄い切れていません。
それ故、
日頃、世間から向けられている羨望の眼差しとは裏腹に、
純資産は枯渇すれすれで自転車操業を続けているのです。
当然ながら、決してリタイアできる時は訪れませんよね。
社会を見渡した時、
誰が経済的自立・自律し、真の意味で自由を得ているか、
先ずはそれを見抜く・見定める能力が求められています。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太