今日のテーマは『東京で年収1000万円以下の生活を送るとき、必要になる経済的制約の覚悟』です。
資本主義を採用する現代の日本社会を生きていく上で、すべての人たちに共通して『お金』というツールはとても重要な位置付けにあると考えます。
もちろん、『それが全てだ!』などと述べる気は更々ありませんし、私たちの多くが最終的なゴールと定める『幸せになること』がお金で買えないという現実も理解しています。
しかし、それ(お金)が必要量に達していないと様々な制約を受けることも事実であり、その傾向は大都市で生活している人たちほど色濃いものになるのではないでしょうか。
特に、近年ではあらゆる面で『東京』が別格の存在になりつつあり、経済的観点で物ごとを論じる際も『東京か、それ以外か』で大別されるのが常識になりつつありますよね。
海外に目を向ければ別ですが、新築マンションの平均購入価格が1億円を軽く超えているという状況など、私の活動拠点・大阪から見ても完全に異次元レベルに感じられます。
それでは、どの程度の収入があれば、華の都・東京で健康で文化的な最低限の生活を送ることが出来るのでしょうか。
国税庁公表の民間給与実態統計調査によると、令和5年、給与所得者の年収の全国平均は460万円とされており、東京に限定すればこれ(平均年収)は530万円まで引き上げられると分かっています。
もちろん、年齢・性差(男女)等の要素によりバラツキはありますが、煩雑になり話が逸れてしまうのでここでは触れません。
この数字(530万円)に対する感じ方は人それぞれだと思いますが、東京で生活するという前提条件を考慮すると、個人的にはまったく十分だとは感じませんよね。
実際、額面530万円から各種税金・社会保険料を差し引いた可処分所得は(大半の人で)400万円に満たない数字となってしまい、単純に12分割すると毎月30万円ほどに。
また、年間2回あるであろう賞与まで考慮すると、毎月の手取り額は余裕で30万円を割り込むことになり、25万円前後になるという見立てがリアルな現実ではないでしょうか。
そこから、23区内であれば一人暮らしでも月10万円はくだらない家賃を支払うと、残金も10万円あまりとなり、諸々の生活コストを差し引けば幾ばくも残らないことは容易に想像ができます。
まして、地方都市であれば『お金』を介在させない経済活動が少なからず存在していますが、人間関係が希薄(というか皆無)な『個』の寄せ集まりの社会ではそれに対する期待リターンは完全にゼロ。
*恐らく、大都市圏で生まれ育った方々は、この文章の『意味』すら理解できないと想像します。
つまり、生活するうえで生じる全ての課題を『お金』で解決する必要があるため、その程度の収入レベルではジリ貧生活を余儀なくされてしまうのです。
私自身、岡山県の地方都市の出身ですが、地元で金融業を営む知人の話では、その街の平均年収は前述した全国平均(460万円)にも遠く及ばず300万円台前半まで落ち込むのだと言います。
当然、数字上の優劣(岡山の300万円:東京の530万円)は明白ですが、果たして、どちらが人間の尊厳を保ちながら『豊かな暮らし』をしているかと言うと後者だと断言することが出来ません。
年収1000万円(可処分所得700万円台半ば)以下で首都・東京で暮らすことは、様々な経済的制約を受けるため、相当な覚悟を求められることになる。
もちろんその選択は否定しませんが、リアルな現状だけは理解しておく方が良さそうです。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太



 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		 
	        	        		



