今日のテーマは、『20年ぶりに火垂るの墓を見て気付いたこと②』です。
昨日も、『パート①』としてこのテーマで書かせて頂きました。
『火垂るの墓』も、子供の頃親しんだジブリ作品の1つですが、
約20ぶりにしっかりと観てみると、子供の頃の捉え方とは大きく異なることに気付きます。
昨日はその1つとして、
『第二次世界大戦後』という国家レベルの緊急事態、動乱期でさえも、
生死を分かつほどの『貧しい者』と『富める者』が共存していたということ。
『勝利国』と『敗戦国』間にこの差が存在しているならわかりますが、
『敗戦国』としては共通している単一国内に、この歴然たる差があったことは驚きです。
高畑勲監督はじめ、ジブリ陣営はそれを敢えて象徴的に表現していると思いますが、
当時は、『清太』『節子』の主人公2人にフォーカスし過ぎていて、
私は、この描写を拾うことが出来ていませんでした。
それで、
今日は、大人になってから『火垂るの墓』を観て、
改めて感じたもう1つのポイントについて書かせて頂こうと思います。
予め断っておくと、『資産形成』『投資』にはあまり関係ありません。
ストーリーの詳細をここで説明する時間はありませんが、
ご存知の方々はお分かりのように、終戦前後の動乱期、
14歳の少年・清太と、4歳の節子が懸命に生きていこうとする物語です。
子供の頃は、幼い兄妹が死にゆく『悲劇』として素直に捉えていましたが、
改めて、20年ぶりに観てみると、もう1つ考えるものがありました。
『清太と節子は、どうにか、生き延びる術はなかったのか??』
この問題を解くには、ほかのアプローチも存在していて、
それは、次の質問の解を探すことでも求められそうです。
『清太と節子は、なぜ死んでしまわないといけなかったのか??』
個人的、これは重要な問題だと考えます。
清太は、学徒出陣で戦地に駆り出され、
先頭の最中、相手の砲弾が命中して殉職したわけでは決してありません。
まして、
節子も含めて、二人は、米軍機による空襲で死んだのでもない。
神戸(三ノ宮)大空襲の烈火からも生き延び、
兵役も免れて無事に終戦を迎えることが出来、
『第二次世界大戦』を生き延びることができた兄妹が、なぜその後に死んでしまったのか??
普通に考えたら、少し不思議だと思いませんか??
物語をご覧になった方はわかるでしょうが、舞台は終戦直前から始まり、
その時点で、二人は『生死』を脅かされる生活はしていない訳です。
確かに、
居住していた家は空襲により焼き払われ、
両親とも戦争で亡くし(*父親に関しては確定していない。)、
戦争孤児になったことで、窮地に立たされたことは確かです。
しかし、
その後は、西宮の遠い親戚の家に身を寄せてもらい、
多少の差別(?)を受けながらも、人としての生活は続けられていました。
ターニングポイントとなるのは、この親戚の家を出て、
『2人で生きていく』と決断したことの1点、これは、誰の目にも疑う余地のないものです。
この2人の『選択』こそが、後に命が絶たれることになった原因だと考えます。
もう少し、読み解いていきますね。
ではなぜ、二人は『西宮の親戚の家を出ていく』という選択をしたのか??
それは、
決して、明文化はされていませんが、当初は優しかった親戚が、
時間が経つごとに、二人への接し方が厳しくなっていったことが考えられます。
ではなぜ、親戚の接し方が厳しくなっていったのか??
それは、
戦局が厳しくなり、生活の余裕が無くなっていたことも挙げられますが、
何より、清太が社会的に『価値』を生み出そうとしなかった事が挙げられます。
このストーリーで描かれている部分では、西宮での居候以来、
清太は、日中家で気ままに過ごし、節子と遊んでいる様子ばかりが描かれます。
親戚の叔母さんから『清太さん、あんた学校はどうなっとるの??』と聞かれた際も、
『焼き払われて、行ってもどうしようもないんです』という、腑に落ちない答えをしています。
また、
西宮の親戚家族が、白ご飯のお弁当を持って出ていく際、
自分たちの昼食も『白米』だと考えて発言し、厳しく叱責される場面。
『お国の為に働いている方々と、
家で一日中ごろごろしているあんたらと、なんで一緒やと思うのよ!!』
例の叔母さんからは、厳しくも、正論と疑うことが出来ない忠告が入ります。
主人公2人の目線で見たら、この叔母さんは『敵』ですが、
フラットな視点で見たら、あまりにも『真っ当な人』だとわかるのです。
社会の中で生きている人は、『価値』を生まないと生きていけない。
これが、20年ぶりにこの作品を観て、私が感じたことの2つ目です。
決して、自分が『清太』の立場であれば、それが出来たという話ではありません。
自身が14歳(中学2年生)の時を振り返ってみると、
それはあまりにも『子供』過ぎて、幼い妹を連れて生きていく『覚悟』も持てません。
だから、決して『偉そう』に言えることはありません。
ただ、
『清太』が、西宮の親戚の家族の中で『生きる道』を見つけて、
『家を出ない』という選択をしたら、結末は変わっていたと思うのです。
・家事を率先してこなし、『労働力』として価値提供する。
・町内会の活動に積極的に関わり、自身の『存在価値』を創出する。
・可能かどうか別にして、最寄りの農家にアルバイトに行く。
(*報酬は、お金でなくても、農作物でも良いですよね。)
・その他、自身が生き残る道を真剣に考え、その『価値提供』に尽力していく。
このような行動を取っていたとしたら、親戚の接し方も変化し、
その過程の中で、妹とともに生き延びていくという道があったと思います。
これは、『現代』においても同じことです。
『大企業』にお勤めの方は感覚が麻痺しているかも知れませんが、
私たちが『労働収入』を得る時、市場に『価値』を提供する対価として、報酬を得ています。
独立・起業した方々、企業経営者においても、
それぞれ立場は変われど、根本的には変わらない『軸』となる部分です。
これを、しっかりと理解する必要がります。
私自身、独立・起業して4年目のシーズンを進んでいますが、
スタート当初も、今も、常にこのことを意識して仕事をしています。
『自身が、プロフェッショナルとして生きていく道は何か??』
『その道を磨くには、どういった具体的アクションが必要か??』
自ら『ビジネス』をすると、市場からのフィードバックは正直で、
良いもの・サービスを提供すれば、リピート・紹介もどんどん生まれます。
しかし、
提供する『もの』『サービス』に満足してもらえなければ、
顧客は何も言わず、ひっそりといなくなるという結果になります。
これまで、
多くの独立・起業する方々を見てきて、
『上手くいかない人』というのは、この根元的な思考が欠落していることに気付きました。
要は、
『価値提供』の対価として、自身が『報酬』を受け取っているという感覚が無いのです。
自らが『好きなこと』をしていれば、相手の『需要』と合致していなくても、
機械的に『報酬』がもたらされると、『勘違い』してしまっているのです。
これは、典型的な『会社員思考』ですね。
これからの時代、今は『会社員』として働いている方々も、
きっと、自らの手で『価値』を創出して生きていかなければいけない時代がきます。
その時に、あなたは、本当に『価値提供』出来るでしょうか??
どうでしょう、『システム』の外で、『1円』が稼げますか??
誰しも、『人』との関係性を絶って生きていくことは出来ないので、
自ら『価値提供』出来ることを、しっかりと考えてみるのも良いかも知れません。
(*今日の本題からは少し飛びますが。)
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代表 井上耕太