ひとつ、疑問が解けた★

『資産形成スペシャリスト』、井上耕太です★

昨日のblogで、少しだけ『イラン』の話をしました。

そしたら、昨夜のNHKで、

偶然にも気になる番組をやってた。

『アメリカVSソ連:東西冷戦を振り返る』

皆さんご存知の、

『社会主義』と『資本主義』の対立戦争です。

他にも、いろいろ要因はあるでしょうが。

それで、僕が前から気になってたのは、

『原油』の決済通貨が『US$』ということ。

原油の生産国は、圧倒的に中東地域ですよね。

宗教的にも対立している『イスラム』地域が多い。

なのに、原油の決済通貨は『US$』。

年末からの原油安で、

『1バレル=30US$切った!』とかやってました。

『なんで?』と思った方も、多いんちゃうかな??

確かに、アメリカ周辺でも石油は出ます。

『原油価格』と一口に言っても、

『WTI』『ドバイ』『ブレント』の大きく3つ。

『WTI』:アメリカ・テキサスの原油。北米の価格目安。

『ドバイ』:アジアの原油価格目安。

『ブレント』:北海の原油。欧州の価格目安。

ほぼ相関していて、連動した価格変動してます。

それでも、世界中の原油の決済通貨が『US$』。

これは、何か理由がありそうです。

昨日の番組でなされた報道では、

次のようなカラクリが明らかにされました。

まず、大航海時代の植民地支配から長年、

中東の地域は欧米に安価な労働力として扱われていた。

実際に、1940年代の『イラン』では、

自国の石油利権は『16%』しかなく、

英国が『84%』も搾取をしていました。

しかし、イラン国民も黙っていません。

二次大戦後の民族主義運動が高まる中、

国民の先導を切ったのが政治家モハマド・モサデク。

英国からの完全独立を明確に宣言し、

国民から熱烈な支持を受けたと言います。

実は、この頃のバックにはアメリカもいた。

この当時のイランの石油権は英国にあり、

アメリカとしては面白くないですからね。

民意とアメリカの後押しで、勢いは増します。

隣国のサウジアラビアが、

米国との間の石油利権折半を取り付けたのを機に、

イランも同様の契約を英国に求める。

しかし、これを英国は拒否。

これにはイラン国民も怒り狂います。

各地で暴動が起きて、遂に1951年にモサデク首相が誕生することに。

そして、石油産業の国有化を宣言します。

怒った英国は経済制裁を発動しますが、

世界的な支持もイランサイドにあり失敗。

無事、イランが完全独立に向けて、

動き出していくかのように見えました。

ここからです。

イラン、モサデク政権に、

ソ連が軍事・経済支援をしてるのではないかという話が出てきます。

当時、『米ソ冷戦』の真っ最中。

アメリカとしても社会主義国が増えることに、

とてもナーバスになっていたと言います。

そこで一転、今まで支持していた、

モサデク政権に立ち向かうことを決定します。

その方法とは、、、、

なんと、『テロ』。

マフィアやゲリラ、軍事関係者を買収し、

イラン国内でのどんどん暴動を巻き起こしました。

世界のリーダーを名乗る国が、

取る手段が『戦争』と『テロ』です。

そして、最後はモサデク逮捕。

その後、亡命していた国王を呼び戻し、

親米の新政権を発足させます。

この時、アメリカが手にした利権が『石油』。

なんと、主要取引5社の中に、

アメリカ石油企業4社が独占する契約を取りました。

これが、イランの石油が、

アメリカの手に落ちている理由です。

アメリカの世界への干渉は、

考えてみれば、これ以外も多々ありますよね。

その後のベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など、

本当に挙げ出したら切りがありません。

ジム・ロジャーズは、

『歴史を勉強することが大切』といいました。

と言っても、日本のガッコでやるような、

出来事と年号の組合せ暗記ゲームでは決して無い。

今の世界状況になるのに、

これまでどのような運びで成り立ったかです。

今、僕も様々な歴史を勉強してます。

知っていくことで、より見えてくることがあります(^_^)★

554