今日のテーマは、『これからの日本が繁栄するため、私たちが海外の金融センターから学ぶこと』です。
先週末の公式ブログでは『超富裕層に対する課税強化が止まらない中、日本はアジアの盟主となり得るか』と題して、長期視点で国家の繁栄を考えたとき、逆走のように映る日本の政策を憂いました。
その中で、アジアの金融センターとして存在感を示すシンガポール・香港との対比について触れましたが、奇しくも、先週は急きょ香港を訪れることになったので渡航を通して感じたことを書きます。
少しだけ歴史を振り返ると、中国がアヘン戦争敗戦の代償として英国に差し出し、その統治がスタートした1842年当時、僻地の廃れた漁村・香港の人口はわずか6000人程度でした。
もちろん、このとき金融街や100万ドルの夜景など存在するはずもなく、現在のような法整備とも無縁だったため、中国サイドからすれば不要な領土を切り離したに過ぎなかったのだと想像します。
しかし、英国の統治スタートから起算して180年ほど経過した今、香港の定住人口は約700万人まで増加し、世界中からヒト(富裕層・観光客)・モノ・カネを呼び込んで大きく発展しています。
メディアは大衆の関心を引くため中国本土との対立ばかり報道しており、確かに政治的な面での侵食は否定できませんが、それでも尚、未だに金融都市としての魅力は完全になくなってはいません。
実際、数年前に起きた香港離れには潮流変化が起きており、中国本土の事業家が香港市場でIPO(新規公開株式 / 株式上場)する事例が増えたことからハンセン指数は今年に入り急激に伸びています。
なぜ、香港がこれほど短期間(200年弱)に爆発的な成長・繁栄を見せたかといえば、英国統治下で展開された『自由放任主義』に由来しているのだと理解しています。
政治的なことに極力触れずに説明すると、中国と良好な関係を維持しながら香港統治を継続したかった英国は、本土からの流入者に対して十分な社会保障を提供しない代わり自由競争を奨励していました。
香港は何もしない者に対してのユートピアではない。しかし、正当な努力をする人間に対しては、青天井に成功するチャンスを提供しているといったところでしょうか。
もし仮に、今の日本にそのルール(自由放任主義)を持ち込んだとしたら、大半の国民はセーフティネット(社会保障)の手薄さにばかりフォーカスして大きな反発が起きるだろうと想像します。
社会全体として、今まで以上に経済的成功を納めるチャンスが生まれたと言っても、そのことを言葉通りポジティブに解釈する日本人は極めて少数派なのではないでしょうか。
いつしか、大半の日本人は自らの能力を発揮して自由に生きていくことより、如何に、日本政府から多くのエサを与えてもらおうかと考えるように完全に飼い慣らされてしまいました。
もちろん、香港にも光が存在すれば、その対比としての影も存在しています。
1997年の英国からの返還以降、確実に社会全体が中国ナイズされつつあり、香港アイデンティティーを誇りとしてきた居住者(香港人)たちの自由は様々な面で制約を受けるようになっています。
しかし、一度手に入れた金融分野の輝きを中国政府が簡単に手放すとも考えにくく、これからも世界経済に対して相応の存在感を示していくことになる。
古今東西、開拓者の生命力には凄まじいものがありますが、多少息苦しくなったものの、未だ社会は死んでいません。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太





