今日のテーマは、『消費減税に慎重な姿勢を理性的と評価することが、間違っている明らかな理由』です。
先月、衆院選終了後の公式ブログでは『農民が年貢が減ることを非難するという、現代日本で起きている不思議な現象』と題して、減税慎重論が多数派を占めることに対する違和感について書きました。
今回の選挙戦では(詳細は異なるものの)与野党とも食料品に関する消費減税を公約の一つに掲げており、徴収するサイドの政治家だけでなく、なぜか国民サイドからも多数のネガティブ意見がありました。
以前の記事でも、日経新聞社と日本経済研究センターが共同で行った調査において、対象となる50名を超える経済学者のうち約9割がこの公約(消費減税)について否定的な意見だったと触れています。
また、日本商工会議所の小林健会頭も定例記者会見の場で消費減税に苦言を呈しており、社会全体として『減税慎重派=理性的』というよく分からない図式が出来上がっているように感じています。
かつて、江戸時代に幕府や領主の重い年貢(税金)に苦しんだ農民が百姓一揆を起こしたことは知られていますが、当然ながら、年貢を引き下げることを理由に起こされたものなどはありません。
数百年の時を経て、基本的なロジックは同じだと考えるのですが、現在の状況(減税慎重派が多数派を占めること)に不気味さ・違和感を感じるのは私だけでしょうか。
確かに、公約を実行(食料品に関する消費税ゼロ)に移せば国家としては年間5兆円規模の減収になり、2年間の時限的であるにせよ、トータル10兆円規模の税収を手放すことになるのは確実です。
否定派の方々は、主にその分(約10兆円)の財源を確保することばかりフォーカスしていますが、果たして、代替財源を確保することが出来れば本当に問題は解決されることになるのか。
改めて私のスタンスをお示しすると、2年間の時限的であれ消費減税は『有り』だと感じていますし、代替財源を確保すれば否定派の方々が指摘する問題が解決するとも考えていません。
それを証明することは極めて簡単で、消費税が導入された1989年以降、累計数百兆円規模(*)の税収が得られたにも関わらず、日本の国家財政や国民生活は何ひとつ楽にはなっていないからです。
*2025年度、国民から徴収される消費税額は単年で『約25兆円』と予測されています。
結論から言うと、『消費税は減らせない』という理論は政治家サイドの正論であり、それを真に受けた経済学者やアナリストたちはそれに見事に洗脳されてしまっていると言えます。
先ほど触れた通り、その導入は1989年まで遡りますが、消費税導入の目的は『景気に左右されない安定財源の確保』であり、更にはそれを担保とした恒常的な赤字国債の発行権の獲得にありました。
勉強熱心な方々はご存知かと思いますが、本来、国家の歳入不足を補うための借金(赤字国債の発行)をすることは、たとえ1円であっても財政法により原則的に禁止されていることです。
そのため、特例公債法により例外的に認められてきたのですが、その『例外』を認めることが習慣化されてしまい、返って日本の『借金体質』を強化してしまうというジレンマが生まれてしまいました。
そして、恒常的な借金(赤字国債の発行)をする権利を手にしたことで先送りされていることは、日本国が抱える最大の問題である社会保障制度(主には年金と健康保険)の本質的な改革です。
古くから聖域とされてきた部分ですが、それ(社会保障改革)を実行すれば選挙戦で負ける可能性が非常に高まるため、これからも核心部分にメスが入れられることはないでしょう。
『減税肯定派=無責任』や『減税慎重派=理性的』という安易なレッテルを貼ることはリスクを伴い、真実を見誤る可能性が高いと見ています。
今の日本が最優先して考えるべきは、税収(歳入)の維持・拡大ではなく、シンプルに国家運営コストのダウン・サイジングを実行していくことだと感じています。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太





