今日のテーマは、『資産形成を成功に導くため、知能指数(IQ)は必須条件として求められるのか』です。
表題のフレーズについて、もしかしたら皆さんも漠然と疑問に思われて来たかも知れません。
よりストレートに表現するなら、頭が良いこと(IQ:知能指数が高いこと)は、資産形成を成功に導いて経済的自由を達成する上で大きなアドバンテージとして働くのか。
ちなみに、頭が良い(IQ:知能指数が高い)ということを具体的にイメージしたかったため、それに該当する人たちの特徴を調べてみると、下記のようなことがピックアップされていました。
①頭の回転が速い。物ごとをスムーズに理解して、瞬時に優先順位をつけて対応することが出来る。
②記憶力が良い。
③物ごとの本質を見抜く力に秀でている。
④知的好奇心が旺盛。
⑤こだわりが強い。集中力があり、興味の対象に対する知識をどんどん深めることが出来る。
⑥日常的に思考することが習慣化されている。
⑦論理的かつ合理的に物ごとを考えることが出来る。
⑧他者が見落としていることにも気付くことが出来る。
⑨集中力を発揮しやすく、周囲からはその姿勢がストイックに映る。
などなど。
なるほど、資産形成(投資)という狭義だけでなく、人生を歩んでいくプロセス全体で考えた時も、持っていて決して損することはなさそうな能力ばかりだということが分かります。
ここで本題に戻ると、資産形成を成功に導くうえで頭の良さ(知能指数の高さ)は必要かと問われれば、私見としては『大きなアドバンテージになる』と回答することになります。
冷静に考えてみれば当然で、知能指数(IQ)が高い人たちは抽象空間の思考も得意になるため、理解・認識できる物ごとの幅も、対局の人たちと比べて必然的に広がる傾向にあるからです。
もちろん、完全相関するとは言いません。
例えば有名な笑い話として、大学で経済学の教鞭を執る教授に対して、生徒が『先生は経済学に精通しているはずなのに、なぜ、お金持ちという訳ではないんですか?』と問いかけるものがありますね。
確かに、大学教授という職業は知能指数(IQ)の高い人たちの代表格と考えられがちですが、不思議なことに、現実世界においても経済的に成功している人はそれほど多くありません。
しかし、だからと言ってそれを不要とするのは極論で、ある程度の思考能力がなければ、資産形成における真のゴールを認識することが出来ないというのも事実です。
実際に、直近では次のようなやり取りを経験しました。
先日、新たな仕事場を確保するため幾つかの候補物件を案内してもらっていたところ、思いがけず、担当の不動産業者の方とお金の談議に花を咲かせる展開となったのです。
彼曰く、ようやく年収1000万円のボーダーを突破して人並み以上の生活(?)を送れるようになったものの、相変わらず金融資産はまったく貯まらないのだとか。
それに対して、私は、人的資本を高める(労働収入をアップさせる)ことと並行して資産形成する(不労所得を築く)ことの重要性を説いたのですが、彼はなかなか理解することが出来ません。
どうやら、彼の中で『労働収入をアップさせたらお金持ちになれる』という固定観念があるようで、強固に根付いた幻想から離れられず、私の話す異なる概念を認識することができないのです。
自然界においても、例えばアメーバ等の単細胞生物は記憶・学習といった機能を持たず、シンプルに『目の前で起きていること』しか認識することが出来ないと言われています。
人間の社会においてもそれと同様で、知能指数の低い(抽象思考の出来ない)人たちは、空間的観点でも時間的観点でも離れたものを理解できず、自らの目に映るものしか認識できないと考えられます。
件の彼が経済的自由を実現する可能性は決してゼロではないですが、突然変異でも起こらない限り相当低く、永遠にラット・レースから抜け出すことは出来ないだろうとも感じました。
結論、資産形成を成功に導く上で、知能指数の高さは大きなアドバンテージになります。
それが十分条件を満たすとは言い切れませんが、必要条件であることは疑う余地がありません。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太





