今日のテーマは、『年末ジャンボ宝くじの販売低迷は、日本人の金融リテラシー向上を意味するか』です。
かつて(昭和〜平成)は年末の風物詩の一つとされた宝くじですが、元号が令和に突入した近年では、急速に時代遅れのものになりつつあります。
実際、売上額は1.1兆円超を記録した2005年を頂点として減少傾向にあり、昨年(2024年)時点では約7600億円とピークから3割以上も落ち込んでいます。
ちなみに、2005年の年末ジャンボ宝くじの当選金額は一等前後賞合わせて3億円で、2025年現在のそれ(10億円)と比較して3分の1以下の水準でした。
裏を返せば、一等前後賞の賞金が3倍超に増額されたにも関わらず、売り上げ総額は3割以上も減少するという、感覚的には相反する結果が出ているのが興味深いところです。
なぜ、このような現象が起きているのでしょうか。
元々、公営ギャンブル(日本国内では公営以外は非合法)の多くは『愚か者に課される税金』と揶揄されて、金融リテラシーの高い人間は決して手を出さないものでした。
当然ですが、期待値が1を超えるものなどあるはずもなく、宝くじのテラ銭は5割超で設定されているため試行を繰り返していくほど胴元が儲かる仕組みになっています。
つまり、購入者は宝くじを買った瞬間から掛け金を半分以上も納税したことになり、ピークを記録した2005年に胴元(政府・自治体・みずほ銀行etc.)は6000億円の暴利を上げたことになります。
冒頭、一等前後賞の賞金が20年前と比較して3倍超に引き上げられていることに触れましたが、間違っても還元率が高められている訳ではなく、売り上げに対する賞金充当率は殆ど変わっていません。
必然、高額賞金の増加分は当選確率の減少として相殺されており、販売総額が上がれば上がるほど、胴元が儲かる仕組みは不変のものとして維持されているのです。
それでは、年末ジャンボ宝くじの販売低迷は、日本人の金融リテラシー向上の賜物なのでしょうか。
もちろん、そこには複合的な要因があるでしょうが、私見ではそうではなく、テクノロジーの進化により大衆の興味の分散が加速して、宝くじへの一極集中が失われただけだと感じています。
今年11月、日本宝くじ協会が公表した調査結果の(宝くじを)買わない理由に『当たる気がしないから』というものがありますが、若年層を中心に、隕石に当たる確率の10億円よりも楽して手に入る数十万円〜100万円程度のお金の方にリアリティを感じているのかも知れませんね。
恐らく、宝くじ購入者の行動の根底には『労せずして儲けたい』という思いがあると想像しますが、それ自体は(程度の差はあれど)人間誰しもに備わるもので完全に排除することが出来ません。
ただ、そのようなもの(労力と釣り合わない報酬)で再現性のある手段は世の中に存在しておらず、それを追い求めている限り、経済的な豊かさは決して得られないというパラドックスがあります。
宝くじの販売低迷は、残念ながら、日本人の金融リテラシー向上を意味していません。
それは他の選択肢に分散が起きた結果に過ぎず、大衆はこれからも『楽して儲かる方法』を追い求めるため、経済的自由を実現する人たちは極めて少数派に限られると予測しています。
井上耕太事務所(独立系FP事務所)
代表 井上耕太





